ピアニスト ダン・テファーに、テクノロジーと人間が融合する未来をみる (2)

~ヒューマンオーグメンテーションと音楽~


前回から、ジャズピアニスト ダン・テファーの取り組みが未来のアートを示唆するという話を書いているが、上記は、最近の彼のtwitter投稿からの引用である。バッハのゴールドベルク変奏曲の第一変奏を弾くのに続いて、彼が書いたプログラムが自動演奏しているのは 「各音は、彼が弾いたそのままのタッチ(鍵盤を弾く強さやタイミング)を再現し、音階は上昇下降をすべて逆にしたもの。つまりもともとの音が半音上がるごとに、半音下げる動きに変更したもの(=chromatic inversion)」である。その結果、調性はメジャーからマイナー風に変わっている 。


僕がなぜ、このようなものをとりあげて「テクノロジーと人間が融合する未来」などと言っているかというと、これまでコンピュータを駆使した音楽というと、いわゆるコンピュータミュージック、電子音楽をイメージする人が多かったのに対し、これはそうではなく、テクノロジーをヒューマンオーグメンテーション(人間拡張)に使った音楽だからである。ここで、映像を見ながら音楽を聴いている人は、後半はピアニストが弾いているわけではなく自動演奏をしているとわかるが、単に音だけを弾いている人は気づかないだろう。テクノロジーの使い方として、人間と対峙するものとしてではなく、人間に寄り添い、人間の能力を自然に拡張する使い方、という意味で、大げさに言えば、これは新しい哲学に基づいている。


前のブログでも書いたように、ダン・テファーとは先日の来日時(2019年6月4日)にいろいろな話をしたのだが、まずは今回彼と会うにあたって一番聞きたかった質問と、それに対する彼の答から入ろうと思う。


それは、「これまで、自分のプログラム(=自分が作成したアルゴリズム)で演奏を拡張するということをやっているが、そこに深層学習を取り入れるつもりはあるか?」である。


この質問の意味は深層学習(ディープラーニング)になじみがない人にはわかりにくいと思うので少し説明をすると、これは、いわゆる人工知能(AI)の中核技術であり、今、世の中で「AIによって人間の仕事がなくなる」などと騒がれることが多いのは、まさにこの技術が急速に発展中だからである。そして、上記で「自分のプログラム(=「自分が作成したアルゴリズム)」と書いたが、実はこの等式は、「深層学習を利用していないプログラム」についてはほぼ成立するのだが、深層学習を利用すると、ここの等式が崩れる。 なぜなら、深層学習というのはアルゴリズムというよりは、大量データの中から、人間には扱いきれないほどの複雑なルールやノウハウをモデル化する「仕組みの見えない箱」のようなものだからである。


そして、その「大量データ」というのは、音楽で言えば主に「既存のさまざまな人が演奏した記録データ」である。従って、深層学習を利用するということは、「過去のさまざまな人たちの演奏の蓄積を混ぜ合わせたものから抽出された、論理的には説明しきれないルールやノウハウの塊を利用して自動演奏する」ということで、いわば「不特定多数の人の演奏の寄せ集めを抽象化したものを取り入れる」ということなのだ。


だから、先の質問を言いかえると「今までは、コンピュータがどのようなロジックに基づいて演奏するかを自分が知っている範囲内でコンピュータの自動演奏を利用しているが、それを拡張し、『コンピュータがどのような音を鳴らすかまったく予想がつかない。しかもそこには、抽象的な意味で、自分ではない他の人たちの演奏が組み込まれている』という音楽をやってみたいか?」という意味である。それは技術的には、彼が既に今やっていることと比較して難しい点はないし、実験的にやっている人もいる。重要なのは、彼のようなトップレベルのピアニストが、「自分の音楽を拡張する手段として、上記のような技術を使おうと思うか?」という点にある。


このように、かなり深い意味をこめて彼に質問をしたが、彼は僕の意図を瞬時に理解してくれ、「そうだ、それは重要な質問だ!」と言った。そして「実は考えている。興味はある。だが今は懐疑的(skeptical)だ」と言った。 懐疑的というのは、実験的に使ってみたいが、実際に自分の音楽を拡張する価値があるほど効果的なものになるかは疑問、ということだろう (僕自身も、ゴールドベルク変奏曲の一部から、GoogleのMagentaを利用して学習モデルを作り、音列を生成してみたことがあり、それを音楽的に意味あるものにするには、さらにさまざまな工夫が必要なことは体感したことがある。) 。


さらに彼は驚くことを言った。「実は秋から、IRCAMの博士課程で研究する予定なんだ」。IRCAM( イルカム:Institut de Recherche et Coordination Acoustique/Musique )というのはフランス国立音響音楽研究所という、音楽や音響と科学との融合について研究する、世界でトップレベルの組織である。たしかに、テクノロジーを試しに利用してみるというレベルではなく、本格的に未来の音楽におけるテクノロジーの可能性を探るという意味では、最適な組織だろう。


僕が想像していたより、さらに柔軟にダン・テファーは未来の音楽に取り組もうとしている。」そう思ったとき、彼自身のホームページを思い出した。 彼はホームページにこう書いている。「特定の人とばかりテニスをやっていれば、『その相手とのテニス』に強くなる。いろいろな人とテニスをやっていれば『テニス』がわかり、テニスに強くなる。自分はクラシック音楽やジャズではなく『音楽』を極めたいのだ」。


彼は、ジャズピアニストと呼ばれてはいるが、冒頭で、難曲であるバッハのゴールドベルク変奏曲を完璧に弾いていることからもわかる通り、クラシック曲も弾きこなすピアニストである。世の中では、「ピアニスト」と言ったときに、クラシックピアノとジャズピアノとは似たようなもので、弾いているジャンルが違うだけと思っている人も多いかも知れないが、実はかなり根本的な部分で違い、その両方を横断的に演奏する人は少ない。昔は、クラシックピアノを弾くのはモーツアルト、ショパン、リストなどの例を出すまでもなく「作曲もするし演奏もする」という「音楽家」たちだったのに対し、今のクラシック音楽のピアニストの多くは、現代になって作曲家と演奏家が分離したあとの「演奏家」である。それに対し、ジャズ・ピアニストというのは、「そもそも演奏自体がアドリブ中心であり、作曲に近いことをやりながら弾くのが当たり前」という「作曲家+演奏家」なのだ。「クラシックピアニストとジャズピアニストは、脳の使い方から違う」という研究もされているほどだ。クラシックピアノから始めて、ジャズピアノの方に移っていったという人は多い(あのビル・エヴァンスもそうだ)が、僕はその逆を聞いたことがないし、クラシックピアノとジャズピアノの両方を自由に行き来する人も少ない。ピアノに限らず、音楽家全体でも多くないだろう。そして僕は、そういう「クラシックとジャズを自由に行き来する人」あるいは、音楽のジャンルを自由にまたぐ人が、アンドレ・プレヴィンフィリップ・グラスの名前を出すまでもなく、好きだ。ダン・テファーの言葉を借りるなら、「音楽」を極めようとしているという感じがするからだ。


今、ダン・テファーはクラシックとジャズというジャンルを超え、「人間と機械」というジャンルを自由にまたぎながら「音楽」を極めようとしており、このことは、僕らがテクノロジーと人間との、あるべき関わり方や、AIと人間との関係が将来どうなっていく(べき)かを考えるにあたって、さまざまなものを示唆してくれる(続く)。


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T. Kamba (神場知成)

人間・機械融合系コミュニケーションシステムのデザインに興味を持つ。コンピュータ・サイエンス分野で、メーカー系研究所の研究員を経て、現在は東洋大学 情報連携学部 教授。専門はユーザ・エクスペリエンス・デザインなど。 趣味は音楽全般。特に自分でも演奏するピアノを中心にジャズ、クラシック。ジャズはミシェル・ペトルチアーニ、ビル・エヴァンス等。クラシックはバッハ、フィリップ・グラス、ブラームス、グレン・グールドなど。

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