ピアニスト ダン・テファーに、テクノロジーと人間が融合する未来をみる (3)

~ヒューマンオーグメンテーションと音楽~

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前回まで、テクノロジーをつかって自分の演奏を拡張を試みているジャズ・ピアニスト ダン・テファーの未来性の話を書いているが、ここでは、先日(2019年6月4日)、彼と会ったときに話した別の話から入ろうと思う。それは将棋だ。「なぜ将棋?」と思うかも知れないが、それは後述する。


僕は彼に、まず次のような一連のことを簡単に説明した(ここでは、彼に話したことに少し補足をしている)。彼は将棋を知らなかったが「高度なチェスのようなものだね」ということで話をした。


  1. 将棋はしばらく前まで、人間がコンピュータよりも圧倒的に強かったが、コンピュータが急激に強くなり、数年前に超えた。そのときに、世の中に何が起きたかが重要だ。
  2. まず、コンピュータが強くなり「いずれ人間を超える」となった時期にプロ将棋界は「そうなったら、人間によるプロの将棋に興味を持つ人がいなくなる」と危機感を持った。
  3. いよいよほぼ互角になったときに、プロ将棋界は名人とコンピュータの対決を避け、プロ棋士が対局中にコンピュータでチーティングしているのではないかという疑惑のスキャンダルさえ起こり、非常に暗い状態に陥った。
  4. 一方、一般人の間では将棋が指せなくても「見る」人が急速に増えた。なぜなら、中継しながらコンピュータソフトが解析して点数化してくれるなどの機能で、トップレベルの試合を素人が楽しみやすくなったからだ。
  5. そこに、若い「人間の」プロ棋士の中にトップスターが現れ、将棋ファンはさらに爆発的に増えた。そして、もはや「コンピュータと人間のどちらが強いか」ということに興味を持つ人はいなくなり、将棋は「人間 vs. 人間」「コンピュータ vs.コンピュータ」それぞれの試合があり、それを見る人も増え、史上空前の人気の中にある。
  6. さらに面白いことに、人間と人間がネット対局できる場で、「途中の一手について、最善手をコンピュータに有料で指してもらう」ということができるようになっており、このサイトが人気だ。これにより、力量に差のある人同士が、平手で戦えるわけだ。さらに驚いたことに、この「コンピュータの一手」を購入するのは、弱い人だけではない。強い人が、自分で手を思いつくにも関わらず、「この局面での最善手をコンピュータだったらどう判断するのか」と確認するために購入することも多いのだと言う。


僕が最後の項目を話す中で、彼は「購入したときに、相手にはそのことがわかるのか?」とか「同じ局面を自分の別のPC上で再現しながらやれば、無料で同等のことができるのではないか?」などさまざまな質問をした。


そして僕は次に、本題である「人間しかできないと思われていた領域にテクノロジーが入ってきたときに、世の中に何が起きるか、という観点で非常に興味深いと思わないか? プロ将棋界にとってコンピュータは人間の敵だと思われていたのに対し、今やテクノロジーはヒューマンオーグメンテーションとして使われ、プロ将棋界も一般人も、より盛り上がっている」と言い、当然のことながら、話は音楽に展開した。



僕:仮に人間と同じことをコンピュータがやったとしても、「人間がやること」自体が重要なことがあるよね。僕は以前から、その議論をする際に、「作曲家と演奏家だったら、どちらがコンピュータに置き換わる要素が大きいか」という話をよく出すのだけど。


ダン:それは非常に興味深い。以前は、「作曲家が音楽を創造し、演奏家はその伝達者だ」と思われていた時期もあるが、今は逆に、「演奏家がその瞬間に、音楽を創造している」という要素の重要性が高まっているとの認識だ。これは行ったり来たりする。コンピュータに置き換わる要素は、むしろ作曲家の方が大きいかも知れない。


僕:「医師にとって、画像から癌を診断する役割と、癌を患者に伝達するのとどちらが重要な役割か?」というのとも似てるよね。診断は絶対に、コンピュータの方が正確にできるようになるからね。


ダン:そう、むしろ伝達が重要で、そのときに大事なのは、その医師に対して患者が信頼感を持てるかどうかだ。医師がその信頼感を得ることは、癌の診断力をつけることよりもはるかに難しい。それこそが演奏家の価値だ。


僕:ところで最近、試しにこういう簡単なプログラムを作ってみたのだけど。(と言って、僕は自分のMacbookを取り出した。そして見せたのは、キーボードで音を弾くと、すぐに鳴らさずに、音ごとに計算した上で、数ミリ秒~数十ミリ秒の遅延を入れて鳴らしてくれる、イフェクタだ。ジャズピアノでは、楽譜通りのテンポに対して、微妙に遅れる(後ノリ)とか、微妙に早めに突っ込む(前ノリ)とかいうのはピアニストの個性であり計算であり、そこの揺らぎが『ジャズっぽいかどうか』にも大きく影響するよね。こういうのをうまく使うと、たとえば、素人が弾いたときにプロっぽく聴こえるように制御したりもできるかも知れない。こういうのはどう思う?


ダン:面白い。だけど僕は、いわゆる「難しいことが簡単にできてしまう」というタイプの支援機能には反対だ。人間の向上努力を妨げ、かえって、それ以上の成長を妨げてしまう。


僕:それは、君のような向上意欲を持った人には邪魔な機能だ。だけど、「簡単にできる」という機能は、「もしもその機能がなかったら、努力の一番最初のフェーズでつまらなくてやめてしまう人」を助け、全体として「音楽を演奏して楽しむ人」の数を増やすよね。


ダン:それは確かにそうだ。その二つのタイプは分けて考えないといけない。


というような話である。


さて、上に書いた「作曲家と演奏家の話」は、まだいろいろと書きたいことがあるので、次回に回そうと思う。


今回の最後に、最初に書いた「なぜ将棋?」という点を補足しておくと、そもそも僕が、この一連のブログ記事に書いているようなことを意識し始めたのは、レイ・カーツワイル博士が著作の中で書いた「『シンギュラリティ(大雑把に言えば、人工知能の総体としての知能が人間の知能を超える技術的特異点)』は近い」という話をきっかけに、世の中で「AIが人間の仕事を奪う」などとセンセーショナルな言い方が増えたのがきっかけである。そして、将棋というのは、コンピュータ将棋が人間の名人を超えたという意味で(明確な証拠はないが、情報処理学会が2015年10月11日にコンピュータ将棋プロジェクトの終結宣言を出した、ということで、棋界とテクノロジー分野の共通認識だろう)、「ひと足はやく、すでにシンギュラリティが来た分野」とも言われている。つまり「将棋の分野で、テクノロジーが人間の能力を超えたとき、その分野に何が起きたか」を振り返ることは、音楽、あるいはアートの分野において今後何が起きるか、ということについて、非常に興味深い示唆を与えてくれると考えているからである(続く)

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T. Kamba (神場知成)

人間・機械融合系コミュニケーションシステムのデザインに興味を持つ。コンピュータ・サイエンス分野で、メーカー系研究所の研究員を経て、現在は東洋大学 情報連携学部 教授。専門はユーザ・エクスペリエンス・デザインなど。 趣味は音楽全般。特に自分でも演奏するピアノを中心にジャズ、クラシック。ジャズはミシェル・ペトルチアーニ、ビル・エヴァンス等。クラシックはバッハ、フィリップ・グラス、ブラームス、グレン・グールドなど。

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